ceciliaのブログ

小さなつぶやき!

『幸せなひとりだち』追記

映画『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』は様々な意味で興味深く、意図することが見え隠れする味わい深い映画であることが、日を追って感じることができます。

 

パンフレットを読んで新たに書き留めておきたい項目が生じたため、この記事を書かせていただきます。

 

まず、ブリット=マリーは夫の浮気をながいこと気づいていながら知らぬふりをして、うわべだけであっても安定した生活を好んで選択したということです。(これは私の想像ですが)幼少のころから姉と違って自己主張をせず、目立たない生き方を選んできた性格に起因しているのかも知れません。

 

「一日ずつよ、ブリット=マリー。一日ずつよ」と言い聞かせるあたり、そんな少女時代に控えめであり、やはりこのように自己主張せずに自分に言い聞かせて生きてきたのではないかと想像します。

 

話の方向は変わりますが、現実のスウェーデンという国は(この映画の60年代前半ですら)女性の社会進出が盛んで、「100%主婦」をみつけるのはかなり困難だということです。女性の国会議員も多く(スウェーデンの議員の40%が女性)、女性大臣の割合も同様とのこと。日本の11%とは大きく異なっているわけです。

映画のブリット=マリーように専業主婦の暮らしができるのは少数派で、相当夫が高額所得者でないと不可能であるとのことです。スウェーデンは「専業主婦がいない国」つまり「専業主婦でいるのは不可能な国」なのだそうです。つまり福祉国家であるスウェーデンで暮らすには高額な税金を支払う必要があるため、国民が生活を維持するには勤労が必須であるからです。

 

また、ボリという街は移民の多い街として生活水準も低いようです。移民は街の人々に歓迎されているとは言えませんが、人々は「私たちの税金を大切に使ってスウェーデン語を学んで」と移民に対する複雑な心境を表現するのだそうです。

 

つまり、ブリット=マリーは相当な覚悟で家を飛び出し、自分の人生探しの旅に出たということがわかる説明なのです。

 

彼女は、最後に去ることになったユースセンターの建物に「ブリット=マリーはここにいた」(原作者フレドリック・バックマンの小説の題名でもある)と自分の足跡を書き残して第二の人生に旅立つのですが、このように「私がここに存在した」と書き残せる人生の一コマがあったことは素敵だし、なかなかそういう場面に出会える人生を送れることは現実には少ないと思いました。また、同時にブリット=マリーはここで貴重な人生の一時期を過ごせて幸せであったのではないかと思いました。

 

新たな道を選んだブリット=マリー。夫の浮気を知って、夫が戻るように懇願しても二度と過去の自分を振り返らなかったブリット=マリー。彼女の第二の人生が幸せであり、失った分以上に新たな発見をたくさんして、人生を取り戻せることを祈りたいと思います。