ceciliaのブログ

小さなつぶやき!

えっ、本当!?

今日の読売新聞の『人生案内』にこんな相談がありました。。

50代後半、パートの主婦からの相談で、「ある国家資格を目指して学校へ行き、勉強したい」という方です。周囲は「そんな年齢で」「今更働けるの?」「お金がたくさんかかる」「中途半端な事してやっていけるの?」との反対意見が強いが、どうしようかとの相談です。

本人は「もう少し若く、もっとお金があったらとやるせない思いの今日この頃。しかし同時にやる気は大いにある」とのことです。

 

回答者の出口治明氏の解答に心打たれました。

人生100年時代です。20歳を社会人のスタート地点とすると、60歳は折り返し点になります。50代のあなたはこれから先、人生のマラソンを半分以上走るのです。学校に行き新しい資格を取得するは、とても賢明な判断と言えるでしょう」との内容。

最後にこう結んだ。「今後の人生で今のあなたが一番若いのです。断固やるべきです。僕は全力であなたを応援します。」

 

私はそうなると折り返し地点から8年進んだ段階!? 

「もう年だから、どうせ・・・」なんてぼやいていられない記事であり、私も励まされたような気分になり、書き残したいと思いました。

 

最近考えていること。

先程、介護をしている78歳の友人から3ヶ月ぶりくらいになろうか、電話があった。

介護現場の実情と介護職の質の悪さを嘆いていた。私も有料老人ホームで働いているので、気持ちはよくわかり「そうだ、そうだ」という嘆きに似た会話で終始した。

そこで暮らす高齢者の方は鬱病になったり、希望をなくし生気のない眼となり、諦めの、ただ待つだけの生活を送らざるを得ない。待つのは家族の面会だったり、自宅に戻れるかも知れないという妄想だったり。なかには死を待つ人もいるかも知れない。ほとんどの高齢者は言葉少なに無表情で暮らしている。

 

真の解決方法が探せないまま、電話は進んだ。しかし、最後はこの保身のみで問題を取り上げないような上司や収益のみを目的とする企業や業界には一個人の力は微力で、立ち塞がる矛盾には限界がある事をお互い認める結果となってしまう。

 

老いには救いがないと、介護の世界を知った人間は常にそこに到達する。

 

私は日々、洗濯と掃除とシーツ交換の仕事。悲しい現実をどうにかしようとするより、仕事を確実にこなしていけるようになって日々の貢献となれば嬉しい。そう思って、仕事が与えられていることに感謝して今を生きたいと思う。

 

老健で働く彼女と私は同じ気持ちであり、この現状に対し無力な我々であるとのどうしようもなく虚しい結論を共有して電話は終わった。

コロナが落ち着いたら会って話したいと約束をして電話を切った。

何? 何々??

はてなブログに書けている?

かなり久しぶりであり、しかも今iPadで書いている。しかもアイパッドケースの付属品のキーボードで文字を打って書けている。

 

これができたらどんなに良いかとiPadを購入し、幾度となくチャレンジし挫折して今がある。何故かこれもかなり久しぶりに弾いたピアノ。『子供のバイエル』を取り出し弾き始めた。こちらも下手なピアノを諦めて久しいが、何故かチャレンジしようと思い立った。

 

諦めなければ道は開けるのか?  なんかそんなことを暗示してくれた2つの出来事であった。

 

このところニュースやワイドショーで有名人の自殺が続いているのを観て、心が暗くなりがちだった。死を選んだ方々について何かを言うつもりはない。しかし、道は閉ざされていると見てしまえば暗闇しか見えない。しかし、こんな小さな発見でこんなに嬉しい気持ちになれるんだから•••

 

森山直太朗の「生きているのが辛いだなんて」(多分題名は違うと思う)という曲が好きだ。「一度死んでみるが良い」との歌詞が衝撃的だ! しかし、なんて優しい曲だろう、と私は思う。

 

今読売新聞の連載(医療ルネサンス)で末期の肝硬変の浦安在住の68歳男性の「人生会議」を特集している。生きることと闘う、私と同じ年齢の方。まっすぐに正直に死と向かい合っている。サポート人にも熱いものを感じる。

 

私たちは知らないうちに生命を授かり、気づいた時は生きている。死と向き合う日がいずれくるのが生命ある者の宿命と気づくまで年数を要するが、ほとんどの人はある段階で知る。しかし、選択肢は「生きる」のみと思い、毎日日々を営む。

 

自ら終りにするなんて選択肢はあたかも無いのが当然として。私はそれで良いと思う。自分で生命を断つことを選択した方々の心には近づけないが、安堵した世界に行かれたのだと信じている。

 

フレイルとは!?

昨日録画しておいたNHKの『きょうの健康』を観た。老化が特集の回で、フレイルについて説明があった。

 

フレイルとは「徐々に行動範囲が狭まり、自立度が低下し、最終的には要介護状態になりやすい状態」と定義される。

興味深かったのは、「運動」「文化活動(将棋や俳句など)」「ボランティア活動」の3項目のうち、高齢者で何もやっていない人はもちろんリスクが高まりフレイルが10倍にもなるとのこと。そして運動だけだと6.4倍。つまりせっせとスポーツクラブに通っていて他は何もしないとやはり、リスクは高めとなってしまう。

 

つまり人間とは「社会性」が大事であり、社会活動を行い人とかかわったり社会のために活動することが自然と老化の防止となる。フレイルのリスクが軽減するという解説であった。

 

私に置き換えると、せっせとスポーツクラブに通い、ほかは自宅でひとりの時間を過ごしているだけより、やはり人と関わる今の仕事(ホームの生活支援)により、社会性のなかで少しでも役にたっているのかも知れないという励みと、もちろん身体を使うことが何より大切なのだとこの番組を観て思った。

 

しかし、そのバランスが難しい。老体に過度な運動はかえってマイナスとなることを身体が知っている。しかし、整骨院に通う毎日だとしても、今は続けていきたいと思う私です。限界まで!

 

やっと書けたこのHatena Biog このパソコンもしばらく使わないと動いてくれない。まるで私自身を観ているようだ。

 

そうは言ってもこれは時間がおりなす宿命である。事実を見つめたうえで今という地点での目標や夢を探さないと、と思う私です。

 

 

老人ホーム

私は9月より老人ホームで働き始めました。市川市にある中規模のホーム(48名定員)で生活支援、つまり居室清掃や洗濯物の管理・返却などが主な仕事です。

 

もともと私は、この介護の世界には18年関わらせていただき、このような施設には約15年は在籍してきました。数も10施設以上にわたるのではないかと思います。

 

しばらくぶりに見た高齢者施設での感想を書きたいと思います。

 

まず、高齢者の方々。このような施設で暮らす方々にある共通点をみつけました。

①根本的に悲観的な方はいないということです。皆さま、ほとんどの方が口癖のように「さっ、帰ろ!」「お金は無いし、帰れないと困るなー」などど自宅に毎日何回も帰ろうとされますが、帰れないことをすぐに忘れ、諦めが良いのです。そして目の前の事柄に気を引かれ、いつの間にか帰りたい気持ちを忘れて(忘れてはいないのかも知れませんが)普通に過ごされている。103歳のおじいさんがその典型で、「今日こそ帰る」と言いながら、気づくと皆さんとリビングで普通に過ごされている。その方は極度の難聴でご自分の主張はされるが一方通行で、全く聞く耳を持たれていないところがほほえましい方です。

②前の項目と共通しますが、皆さんプラス思考であります。というか、もう何かここで主張してもきっと通らないことを察知しており、それなら下を向かないでこの一緒にいる人々や事柄に溶け込んだほうが、何も多くを望まないほうが安泰であると知っておられるのです。

適度の量の認知機能の低下がそれを手助けしているようにも感じます。だから思いの外笑顔が多く見られ、悲観的ではないことが救われます。

③とくに比較的裕福だった方が入っておられる施設のためか、皆さん品が良く、育ちや暮らしぶりの良さがどこかに感じられることも印象的です。

 

次に職員について観察したことを述べたいと思います。

①第一は驚くほど、介護職に転職した中年から以上の男性職員が多くいることです。女性はやはり若い方が目立ちますが40~50歳代も何人かいるのではないかと思います。

②いつの時代もこの介護の仕事に共通するテーマでありますが、介護の仕事に誇りを持ち生き生きと仕事に向かっている人と、「何で私がこんな仕事をしなくちゃ・・・」と明らかに嫌々やっている職員とが二分されている職場であると感じています。後者は他の人にもぶっきらぼうで無視を決め込んだりし、態度からその嫌々さがすぐにこちらに伝わって来ます。多分見えないところでは、入居者の方にもそのようなふてくされた態度で接してしるのではないかと想像しますが、そうでないことを祈りたいです。

③リビングで過ごす高齢者の方に話しかける職員はほとんどいません。これはいつの時代もどこの施設でも共通していることです。介護職員の不足からくるもので仕方のないこととは理解しますが・・・。来る日も来る日も誰も歌わない「カラオケ」画面を流しているだけというのはどのようなものかとあきれてしまいます。

ごくまれに職員が行う集団体操の声が聞こえてくるとほっとします。少しの時間でもみつけて簡単な体操程度はできるはずだと私は思いますが・・・。

 

まあ、違った職種から見るからこそ見えてくることが多いのではないかと思いますが、私は生活支援なのでこのように遠くから見ているだけで、それ以上は求められない点が助かっているのかも知れません。それと同時に生活支援として入居者の方に関わる場面があったときは心から接したいと思っています。そして、今勤めている職場の入居者の方が楽しい時間を過ごし、事故がないことを心から祈っています。

 

このような生活支援の仕事であっても、やはり高齢者施設は私の古巣みたいなところであり、そこに関わる仕事に就けたことを心から感謝しています。

BSが面白い!

最近、NHK・BSプレミアムが面白い! 結構マニアックなこだわった番組作りをしているように思う。

 

私は最近『すぐ死ぬんだから』というドラマを楽しみに観始めている。仲の良い(と思われる)80代初めの夫と78歳の三田佳子演じるいわゆる平凡な妻とその家族の物語、という設定で、少し退屈な1回目から始まった。

三田佳子はさすが、モデルのような着こなしでクラス会に行ったと思えば、半狂乱で山姥のように恐ろしい形相になって遺品を処分する老女を演じ分けている。

 

退屈だった話は2回目の終盤から展開し、長年の夫の浮気が発覚する。夫が国分寺市に40年近くも浮気相手と第二の家庭を持ち、認知はしていないが息子までいるという話。自宅は品川区である。夫の浮気が見つかる過程や、浮気相手との接点が推理もからんできて、面白くなっている。夫はイケメンの20代の息子に自分の名前の一字を付けており、三田佳子との間の長男はなんか弱々しい名前だったりするのがまた、面白い。

 

毎日のように妻(三田佳子)をほめ、愛情表現をし、折り紙だけが趣味の夫だった。三田夫妻の長女夫妻・長男家族と孫たちも巻き込んだ、絡んでいる糸のような話がこれから展開していくようだ。

 

浮気を題材にこんなに明るく、潔く表現するドラマは、もちろん作り話だから観ている者は心から楽しめる。さすが、内館牧子

随所に「老いとは」のテーマに触れているのがまた、私の年代には指針となりありがたい。

 

しかし、私がここで書きたかったのは、このドラマの内容ではない。最後に読み上げられた言葉(ついメモしてしまった)に衝撃を受けたからだ。

 

それは、

「人生80年とすると、睡眠が27年、食事が10年、トイレ5年。つまり残りは38年。意外に短い」

という言葉だ。ふっと吹き出しそうになったが、笑ってはいられない。80歳まで長生きしたと思っていたら、38年。38歳ではまだ若造だ!!!

 

やはり、私は笑ってはいられないのだ。短い人生、限られた人生、一刻一刻を無駄に過ごしてはならないのだ! 

 

そう思って、くよくよと先の事は作って悩まないで、今を激しく一心不乱に生きていきたいと思う。

 

そんなことを考えさせてもらったドラマ。そして三田佳子の演技の深さとストーリーに感銘を受けていることをこのブログに書きたいと思いペンを取った(?) キーを打った!?

映画『STILL LIFE』・・・おみおくりの作法

イギリス映画『STILL  LIFE』を観た。still life とは静物画という意味らしい。

あまり日本では知られていない映画のようであり、ググってもなかなか見つけ出せなかった!

 

地味でまじめそうな中年男性が多く映し出され、観始めは言葉とか会話とか、そして人とのかかわりや笑顔の少ない映画だな、と思った。

観ていて最後に分かったのだが、それらは後半を盛り上げるための布石であり、

観客は前半は作者の掌の上に置かれていたのでは、と観終わって思った。

 

100人の人には100通りの人生があり、それらの人生は重んじられ尊ばれるべきであるとこの映画は強く訴えているように思った。

 

ラストシーンでその重い大切なテーマが観客を魅了したのではないかと思った。

 

死とは何かと考えたが、生きている人間には永遠のテーマできっと結論を見い出せないまま、多くの人が一生を終えるのであろうと思う。

ただ一つ、私が常日頃から思っているのは、人の死はもちろん悲しい。近しい人の死は尚更だ。

 

それは見送る我らの心にすっぽり穴が開き、淋しくなった以上に、その存在がいなくなることが耐えられなく、やはり根本的に理解できないからでもあると思う。

しかし、亡くなった人の人生が終わってしまったことも(その人の立場に置き換え)同時に身に染みて悲しく惜しむのも事実だと思う。しかし、亡くなった人の人生が亡くなる寸前まで、いえ死後も永遠にきっと満足して充実していたものであり、その点は喝采をしたいと思う。

 

死に至る道は厳しいのか、あっという間か、または本当に寝たまま目覚めない死もある。どのような最期であっても「生きた!」と言える(思える)ように全力で今を生きていくのが生命を授かったものに与えられる使命なのであろう。

 

この映画を観て、そのようなことを考える機会を与えてもらえたことに感謝している。

 

戦争の話。

昨日、録画しておいた戦争がテーマのテレビ番組を観ました。戦争の話は気が重く、何日も観る事ができなかったのですが、ふとしたことで観始めました。

 

それは8月24日にNHKで放送された『戦争童画集~75年目のショートストーリー~』というタイトルで、45分の作品です。吉永小百合が朗読をしつつ進行する中で、山田洋次監督等が脚本を手掛けた3つの戦争ミニストーリーを役者が演ずるという構成です。随所にベースのようにあるストーリーを重ね進行します。それは現代の一家族の話です。父親が広島の花火師とその妻、広島に帰郷中の東京に住むアニメーターを目指す娘の3人の出来事が新型コロナを絡めて描かれます。

 

戦争のストーリーは現実の体験者からの話を元に作成されているので、何より説得力があり、そして何よりショックで恐怖でもありました。

 

1部 『あの日』 林幸子さんの手記より 脚本・演出 山田洋次

1945年8月6日、広島市に原爆が落とされた日に被爆にあった林さんが、工場から自宅に歩いていく途中に見た惨劇や、やっと会えた父親(妻と息子を崩れた自宅の下敷きになり亡くす)の悲劇と最期について語る。

 

2部 『こんばんは』 大平数子さんの聞き書きより  脚本・演出 山田洋次

全身被爆でやけどした幼い孫(女の子)のために家々を訪ね歩き、孫が望む「みかんの缶詰」を求めて歩く話。もう最後にしようと決めた家でたまたま(蒼井優演ずる)夫人が大切にとっておいた「みかんの缶詰」を差し上げた。おじいさんがもう何も食べられなくなってしまった孫に缶詰の汁だけ飲ませてあげるとやがて孫は息を引き取った。夫人が忘れた頃、そのおじいさんが孫と植えた小さなサツマイモ1個を大切そうに差し出し、「ようやく成ったから」と感謝の言葉とお礼気持ちとして置いていった話。

 

3部 『よっちゃん』 脚本・演出 松居大悟

沖縄での戦火のなか、負傷した兵士を看護する高校生の女性2人の話。惨状が目を覆うばかりで、けなげにも命をかけて看護をした話。戦禍のなか爆撃に打たれ一名の女性は亡くなってしまう。

 

皆、悲しい話であるが目をそむけてはいけないのだと、観終わってから強く思いました。そして戦争の体験を風化させてはならないと、このような作品を残す吉永小百合山田洋次監督に心から崇拝する気持ちを持ちました。

 

平和ボケした現代人が苦しむコロナ禍。しかし、この戦争の時代にこのような事がほんとうにあったのだろうかと驚きと共に知り、戦争の残酷さを改めて思い知らされました。二度と人間は戦争などしてはならない。しかし今も一触即発の世界情勢。現に戦争をしている地域もある。なんと人間というのは愚かなのかと・・・。

この番組は今を必死に生きていくことの重要性を、私たちに知らしめてくれた番組でもあるのではないかと思いました。

 

スポーツクラブと・・・

 

休会していたスポーツクラブに8月から復会した。毎回行くと、スタジオのプログラムと、ウォーキングや筋トレ(軽く、短時間)を組み合わせて、滞在時間は1~3時間程度。現在、週3回は行っている。

最近、身体を動かすことに身体が少し慣れてきたのを感じている。話す相手はいないが、人が多くいて、それぞれ目的をもって集まり頑張っている姿は励みにもなる。

このペースで週2日は続けていきたいと思っていた矢先・・・

 

ニュースで山口もえが新型コロナウィルスに感染し、夫の「爆笑問題田中裕二がやはり陽性だったと報じていた! 

テレビでよく観る芸能人が感染したとなると、ウィルスが身近に迫ってきているのではないかと背筋が寒くなる思いがする。

スポーツクラブやカラオケ・会食はリスクが高いと言われている。

 

しかし、人間はこもりきりで生活はできない。身体を動かし、生きるには活動をして生活を送らなければならない。怖れすぎてはならないと解ってはいる。

 

私はスポーツクラブを続ける道を選んだ。つまり、気をつけながらも社会で生きていく道を選ぶ。やはりこれからもコロナを怖れていくことには変わりはないが、自身の生活やスタンスを大切にする道を選ぼうと思う。

 

昨夜のNHKテレビで観た。ある地方に3人姉妹が暮らしていて、長女が90歳代。80歳代の次女と70歳代の三女が長女の介護をしていた。別に暮らす弟さんがインタビューに答えていたのだが、次女か三女が洗い物をやりかけの状態で自宅をあとにした様子があったとのことだ。すぐに戻る気で出ていったのだ。しかしその後、次女と三女が相次いで新型コロナに感染し入院。そのまま2人とも他界してしまったとのこと。長女のみ一人取り残されてしまった。長女は認知症もあり、独居生活は困難である。コロナ感染の疑いもあったため、どこの施設も受け入れ拒否だったとのこと。ようやく自宅から何百キロも離れた施設(担当ケアマネが探した)で受け入れてくれた。弟さんに支えられてその施設に向かって歩く長女の方の小さい後ろ姿がいつまでも映し出されていた。

 

こんなコロナ禍の時代に遭遇し、いかに生きるか?この時代に生きる我々ひとりひとりの人生観が問われているような気がしている。

 

 

やれるだけやる!

私は毎日、新聞の『人生案内』欄を楽しみに読んでいます。

 

今日、40歳代半ばの女性からこんな悩み相談がありました。

「未婚の実家暮らし。就職氷河期世代で就職浪人だった若い頃、頑張って資格を取り旅行社で10年近く勤務。役職も付いた頃、異動してきた上司のパワハラで体調をこわし退職。その後、旅行関連の外資系に勤務。10年近く働き、無期採用になった。しかし、今回の新型コロナの影響で業績悪化により失職。絶望し現在うつのような状態になり通院中。私の人生って何? 先が見えなくいて苦しいです。」

との相談内容でした。このような方はもしかしたら日本中、いえ世界中に多く存在するのかも知れないと思います。

回答者の最相葉月さんは「同様の経験をしている人は一定数おり、就職難もパワハラ感染症もあなたが招いた災いではなく、また、あなたは決して孤独ではありません。これまでの業界とは違う世界でも良いので、新しいソーシャルビジネスを開拓するなど、精神力と豊富な知識と経験のあるあなたならきっとできるはず」と、励ましておられました。

 

絶望から人はうつ状態になるのでしょうか? 相談者がこの回答を読んで、うつから脱し前向きに生きてくれることを祈る気持ちです。

 

この方と比較はできないですが、長らく失業状態だった私が就職の内定をいただきました。うつ状態までにはならなかったですが、半年近く社会から離れており、体力と若さと自信をなくしつつあり、もう二度と社会とは関われないのでは、と諦めの気持ちを持ったのは確かです。

 

出会えた仕事に精一杯向かっていきたいと思います。『やれるだけやる!』そしてやれるだけの範囲を大きく伸ばしていくことを目標に、新しい職場と新しい出会いに向かっていきたいと思います。

 

相談者の女性も、未来に明るい光が差し込み、どのような職種でも挑んで社会復帰されることを一読者として応援しています。